美しい人〜とある真夏の夜に〜

Travis Japanとしめかけくんとわたし

大好きな人達へ

2018年も終わろうという12月29日、アイランドを観劇した。
話はまぁ大体いつものことで、よくわからないというか、むしろ最近は内容を理解しようとすることすら忘れている。
でも、きらびやかにショーアップされたあの世界が大好きだから、とにかく見ていて幸せだった。
あの中にいるしめちゃんを私は好きになった。
私は帝劇に立つ七五三掛くんを好きになったから、帝劇に立つ七五三掛くんを見る度にその気持ちを思い出す。
何をしているしめちゃんも大好きだけれど、帝劇に立つしめちゃんのことが私は特別なんだと思う。
それぞれのファンがそれぞれの特別を持っているように。

楽しい気持ちで観た。
ファンカッションが好きだし、ナポレオンジャケットでフラッグをやるのも好きだし、白スーツでの階段降りが好きだ。
出番が少ないとは聞いていたけれど、そんなことがちっとも気にならないくらい大好きだった。

同時にいろんなことも思い出した。
タイタニックのシーンを見れば、氷山に閉ざされつるし上げられていたシルエットの美しさとか、下流の客室で顕嵐に向けた笑顔とか瑞稀とトランプしていたこととか、オーケストラの肘の張り方が狭かったこととか…
Wゆうたがフライングすれば、あぁ、このフライングはしめちかでやったフライングだなぁとか。しめちゃんの回転がめちゃくちゃ速かったこととか。
しめちゃんのことだけじゃなくて、いろんな人のこと。タイタニックの船長はあの人だったなぁ、ヒンデンブルクの将軍は、記者は…
もういない人もいる。ついこの2年間のことなのに。
そんなことを思い出しながら観ていた。

私の隣で観ていた美勇人担はどんな気持ちだったんだろう。美勇人のいない舞台をどんな気持ちで観ていたんだろう。

私がしめちゃんに降りた時、しめちゃんの隣にいたのは美勇人だった。だから、私にとってはしめみゅはちょっとだけ特別だった。ずっと見てきたわけじゃないし、知らないこともたっくさんある。
でも特別だった。私は美勇人といるしめちゃんが大好きだと思ったし、しめちゃんといる美勇人のことも大好きだった。
だから必然的に美勇人担と現場に行くことが多かった。人は違っても美勇人担と入るのが好きだった。
美勇人と別々の現場が多くなって、美勇人担と入ることは少なくなった。
触れていいかもわからない時もあった。
でも私は美勇人担が同じ現場にいるのが嬉しかった。
トラジャを好きでいてくれるのが嬉しかった。
いつも同じ現場に入るのはこれが最後かもしれない…と思いながらも、ぼかしたままにしていた。

だけど…
今度こそ次会う時は本当に何かが変わっちゃうのかもしれないなって…
なんにも言えなかったけれど。
去年の夏も美勇人がトラジャからいなくなるのが辛くて泣いた。そして、美勇人担がトラジャ担じゃなくなるのが嫌で泣いた。
前を向いて進んでいく彼らが好きだと思ったから、美勇人のいなくなったトラジャはもちろん、ラブ一筋になった美勇人のことも、ラブ担として生き始めた美勇人担のことも陰から見守っていた。
私は去年の秋も言っていた。美勇人がいなくなった時も朝日がいなくなった時も。自担がいなくてもトラジャのことが好きだったらトラジャ担だよ!って。
そんなことを一年以上経った年の瀬の東京駅で思い出しながら友達を見送った。

そうしておうちに帰ってきて、みんなは8時だJを見ていて…
滝翼の後ろで踊るトラジャがいて嬉しくて、翼くんと最後に共演できて本当によかったなって思った。
でもなんでここに美勇人はいないんだろうって。
顕嵐だって拡輝だって朝日だってそうなんだけどね…
でも彼には後2日残された日があるのに、それすら叶わないのかって…
そんなこと思ってしまって…

トラジャが滝翼さんのバックにいて、大先輩達と共演して、キラキラの笑顔でいて嬉しい気持ちと、もうないんだっていう猛烈な寂しさと、翼くんに最後の最後までお世話になった自担がどんな気持ちでいるかってことと、なんでここに美勇人はいないんだって気持ちでぐっちゃぐちゃで、わんわん泣いた。

そんなぐちゃぐちゃな気持ちの中で、ただ一つはっきりわかっていたことは、私にとっては自担は常に光だったし、曇ることがなかったということ。
私が七五三掛担になって、彼に関して好きなところしかなかったし、嫌な気持ちはひとつもなかった。
現場に行った回数とかかけたお金とか知り得た情報量とか書いた文字数とか、そういうのはわからない。
計れない愛情の重さもよくわからない。
でも、私が知っているどの彼もひとつ残らず輝いていて大好きで、宝物だなって思えているから、私は今年一年もちゃんと七五三掛担を全うしたんだと思う。
そして、きっと来年も七五三掛担なんだと思う。

だからこそ、この気持ちは今年のうちにきちんと言っておかなきゃいけない。
美勇人はこれからもきっと美勇人らしく生きていくと思うけれど、ジャニーズJr.の森田美勇人にはもうすぐお別れしなきゃいけない。
今まで本当にありがとう。
そして、美勇人担も本当にありがとう。
次会う時は違う形かもしれないけれど、幸せでいようね。

そして、いっぱい泣いたけど、私は来年もしめちゃんとTravis Japanの夢を一緒に追いかけるし、いっぱい笑って過ごすつもり。
だから、トラジャ担の皆さんよろしくね。

デビューにあまり興味のなかったJr.担の話

‪まずは、King&Princeデビューおめでとうございます。‬

 

率直に言うと、めちゃくちゃ羨ましいと思った。

私は自ユニのあり方が大好きで、いつも幸せな景色を見せてくれる彼らのファンでよかった!と思って日々過ごしているし、デビューするとしたら自ユニよりキンプリの彼らが先にデビューするだろうということは自然に受け入れていたし、でもだからってデビューする彼らより自ユニが劣っているという風にも思っていなかったので、悔しさはそれほどなかったし、不満にも思わなかった。本当に心からおめでたいことだと思った。お友達も喜んでいて純粋に嬉しかった。
‪元々、私は自ユニのパフォーマンスに惚れ込んでいて、従来のCDデビューという形ではその魅力は発揮されないだろうから、望む形ではなさそうだ…と正直デビューにそこまでの執念を燃やしていなかったのもある。‬
故に、突然の羨ましいという気持ちにはすこぶる戸惑った。なんだこの気持ちは…と。

 

デビューに固執していなかったとは言え、今のままでいいと思っていたわけではない。
私が愛してやまない彼らの才能はとてもすごいので、世の中の一人でも多くの人に見てほしいという思いは常々あった。
たしかに現在自ユニは年間一定数以上の舞台・コンサートのお仕事があるし、去年自担は200公演以上ステージに立った。なんなら恵まれていると言えるかもしれない。途切れない現場、満員御礼、グッズの売上で採算を取る、きっと事務所としては悪くない回し方なんだろう。
でも、彼らのパフォーマンスは宝だ。計り知れない努力をして得たスキルも、それを可能にした根性も、才能も、そしてステージでの一瞬の輝きも。知る人ぞ知るで終わらせるのはもったいない。とにかくもっともっと多くの人に見てほしいと思っている。
そして、同時にJr.という肩書きだけで一人前じゃないと思われることへの違和感がある。彼らはプロだ、と見せびらかしたい気持ちすらある。

ただこの気持ちが私だけの特別じゃないことにも気づいている。誰かを応援している人は大体みんなそう信じているからだ。自分の応援してるものに陶酔し、見たら好きになるから見てほしい!と、ヲタクはみんなそうやって売り込み競争をしている。
とりわけ今のジャニーズJr.に頑張っていない子なんていないからなおさらだ。Jr.の舞台を観ていて思うが、みんなすごいのだ。
好みの差はあれど優劣はつけ難いし、それぞれに見た人の心を掴んでいる。それぞれのファンが同じように思っているに違いない。見てくれればわかる!と。(ファンよ増えないでくれというタイプの人は別だが)

兎にも角にも見てもらうことがどれだけ意味があるか。仮に人の心を掴む打率が3割だったとして、1万人が見たら3千人しかヒットしないけれど、見てくれる人が10万人になったら、3万人にヒットするようになる。露出の影響がいかに大きいかを考えずにはいられない。
人気というのは率の問題だと思いがちだけれど、結局は絶対数の問題だ。打率と露出本数という両因子を外すことはできない。
露出本数は事務所の推し方に寄与していて、本人達の努力に関係ない因子の与える影響の大きさに改めて気づかされている。(努力が評価されて推されている部分はもちろんあると思うので、デビューする方々が努力なしに推されたなどとは思っていなくて、客観的に計れないので不確定要素だという話)

デビューという儀式を経ることで露出はぐんと増え、できることの幅が一気に広がることにふと気づいてしまった。そして何より、一人前として認められることがどれだけ彼らの励みになるかということ。
とうの昔に知っていたつもりだったのに、勝ち取った人達を目の当たりにしたらデビューというものを実感してしまった。(正しくは決まったというだけでまだデビューはしていないのだけれど十分なニュースになったとは思う)これがデビューなのだとしたら、CD云々はさておき、儀式としてとても大きな意味があると思った。遅ればせながら、みんながデビュー、デビューという意味が少しわかった気がした。
羨ましかった。

 

そんな他担である私の一番の関心事は、当然ながら自担と自ユニのこれからのことだ。
彼らの気持ちも考えも赤の他人で一ファンに過ぎない私にはわからない。でも、ステージの端っこや後列で踊る日も収録に呼ばれない日もコツコツ自分を磨き続けてきた彼らだから、きっと自分達のビジョンがある限りは駆け抜けるんだろうなと思う。いい意味でマイペースに自分達の力でできることは一つずつ確実にものにしていく。
ファンを獲得するのに打率と露出の両因子が欠かせないと言ったけれど、彼らの努力は打率として報われる。それが救いだ。
そして、そもそも頑張り続ける姿こそがアイドルの本質だと私は思っている。だから、先のことなんてわからないけれど、今この瞬間に全力でアイドルしていて最高に輝いている自担がとっても誇らしくて嬉しい。
そりゃあ、明日も明後日も来週も来月も来年もその先もずっと自担と自ユニがアイドルでいてくれる世界が来たらいいけれど、一番大切なのは今日最高のアイドルでいることかなって。それに替えられるものはないのかもしれないなって。

そういう日々の先に彼らがもしデビューを思い描いているならば、そんな日が来たらもっと嬉しい。

だから私の願いは、どうか自担が、自ユニの愛すべきメンバー達が自分達の頑張りを無駄だなんて思うことがありませんように…ということ。
ずーっとアイドルでいてくれなんて言わない。彼には彼の人生があるから、他にやりたいことができるかもしれないし、あるいはアイドルとしてはやり切ったと思う瞬間を迎えるかもしれない。でも、その瞬間までは自分達は報われないとか頑張っても無駄だみたいな悲しいことを思ってほしくないんだ。アイドルでいる間は全力で突っ走ってほしいし、きっとそうしてくれるっていう期待もある。
今日最高のアイドルでいてくれたことに感謝して、精一杯の拍手を贈りたいなって、そう思った。

目指すあの場所まで

前回「何人でもTravis Japanだ」と書いた。
私のそんな気持ちを嘲笑うかのように、またひとりメンバーが私には見えないところへ行ってしまった。

不穏な噂は耳に入っていた。
でも、ヲタクをしている人ならみんな何度か(いや、たくさん)そういう経験はあるだろう。出どころのわからない噂。特にJr.界隈では退所はよく話題になる。
今回は正直そんな訳はないという気持ちが強かったのもあるが、何より私の気持ちがTravis Japanに何か起きることを拒否していたので、強い否定をしていたというより、やんわり聞かなかったことにしていた。それでも多少ならぬ胸のざわつきは覚えた。
でも意識にのぼらないようにしていたので、それが正確にいつのタイミングだったかは覚えていない。

今年の9月は帝国劇場でジャニーズYOU&MEアイランドが上演されていて、私の自担こと七五三掛龍也くんとTravis Japanはそれに出演していた。
夏の夜に儚げに光っていた幻のような彼らは、帝国劇場のステージではっきりとした輪郭で眩しいくらいに輝いて立っていた。
うまく言えないのだけれど、夏のあの日の最後、EXのステージに立っていた彼らは確かに光っていて、確かな方角を指し示していて、星のようだった。怒涛のステージで燃え尽きたその一欠片が輝き出して星になったみたいな感じ。消えてしまいそうな揺らぎもなく、きちんと私達に向かうべき方角を指し示していて、凛として光っていた。ただとってもとってもとっても小さな光だった。
それが、帝国劇場で見た彼らははっきりとした輪郭で、煌々と輝いていた。今、ここにいる、という感覚。そういう存在感だった。太陽のようだった。
あまりに強くて、驚いた。
強い男だと普段からあれほど言っている私が驚くくらいに彼らは強い光を放っていた。
これから「どこに向かう」ではなく、「今」「ここ」にいる。
毎公演がそれの繰り返しなのだ、と私には感じられた。

彼らはやってのけた。6人でのステージを。
人数が変わる度、形を変えてきた彼らは、またもや新しいTravis Japanを完成させてしまった。
それは正直悲しくて寂しくて悔しかった。
辛いことをどんどん受け止めてしまう彼らが悲しかった。大好きな彼らには辛い現実に直面して欲しくなかったし、直面してもそんなの受け入れられないって跳ね返して欲しさすらあった。
でも彼らは受け止めてしまった。それが悲しかった。
悲しくて守りたかった。運命を背負いこんでいってしまう彼らを。
でも、それなのにちっとも可哀想じゃない彼らが誇りでもあった。すごく嬉しかった。

だから、6人での『夢のHollywood』を少年倶楽部でやるのは新しい時代の幕開けみたいでわくわくした。
もちろん、一緒に立っていたはずだった彼、彼、そして彼の顔が浮かんだ。悲しさも寂しさも悔しさも全部飲み込んでしまおうと思った。そんな簡単なことじゃないけれど、そう思った。
私の大好きなTravis Japanの一瞬の輝きをみんなに見てもらいたかったし、これから訪れる明るい未来に想いを馳せていたかった。
放送日、本当に幸せだった。
6人のTravis Japanも大好きになっていた。

その翌日がジャニーズYOU&MEアイランドの千穐楽だった。
私はその1週間も前に最後の観劇を終えてしまっていたので、お留守番だった。
流れてくるレポという名の大量の文章にひたすら殴られた。
蓋をして見ないふりをしてきたのに、あまりに急激に現実味を帯びた言葉にボコボコにされた。
狼狽えていた。いろんな感情が溢れ出して、よくわからないけれど泣いていた。
これからみんなで頑張ろうという時にひとり、またひとりと人がいなくなった。
信じてほしい、本気だ、頑張る…
いろんな言葉がフラッシュバックした。
何を信じていいかわからないと思ってしまった。

程なくして新しい号の雑誌が出た。5人だった。
お仕事も発表された。やはり5人だった。
そうか…
正直怒っていた。
なんで今なの…と心の中で叫んでいた。
大好きなのに嫌いになりそうだった。
いや、大好きだからこそだった。
信じていたからこそだった。
私は7人のTravis Japanが大好きだったけど、6人のTravis Japanも本当に好きだし、応援するって思ったのに…なのに…
大好きなのに、勝手にどっか行かないでよ!
私もっと見たいよ!ばかやろう!
なんで泣いたの?大切なものは何?本気って何?
勝手にいなくなるなんて認めないから!
本当はありがとうとか好きだよとか言いたかった。
彼の事情はわからない。一ファンが本当のことを知る由もないし、知りたくもなかったし…
もしかしたら、責めてはいけない致し方ない事情があったのかもしれないね…
でもそれが正直な気持ちだった。
(ごめんなさい)
それと同時に怒っている自分にも怒っていた。何動揺してるんだ、ばかやろう!と。

私は私なりに、輝く笑顔の持ち主で優しくて頼もしいエンターテイナーで、実は無邪気な最年少の彼のことが好きだった。いろんな先輩に可愛がられる、グループを超えた華麗なる視線泥棒はTravis Japanのファンとして誇りでもあった。自慢のメンバーだった。
ステージに立ってる姿かっこよかったよ!

もう彼の姿を見られないかもしれないんだ…という喪失感は徐々にやってきて、少しずつ理解しているけれど、私はまだ実感はできていない。
心のどこかでは、しれっと戻ってこないかな…なんて思っている。
たくさん泣いてたくさん怒ったけど、泣き損怒り損にしてくれていいよ?
戻ってきたら…心配したんだぞ、ばかやろう!ってうみんちゅみたいにポカポカ殴るよ。多分泣きながら。

でもね、私はまたきっと新しいTravis Japanのことも好きになるんだろうなと思っている。

そんなこと自担じゃないから言えるんだって言われそうね。そうだと思う。
Travis Japanのことが好きで応援したい気持ちがあっても、そこに自担のいないことを直視できないという気持ちは察する。
Jr.担にとって自担が退所することは決して他人事ではないから何度も想像しようとした。突然そんな日がやって来たとして、私が普通に日常生活を送れるはずもないから、縁起でもないけど少しそういうことは考えておいた方がいいんじゃないか、と。
でもできなかった。
だから今一番心を痛めているファンの人の気持ちはきっとわかっていない。
私のフォロワーさんにも何人か去っていったメンバーのファンがいる。
私は直接に何も言えなかった。
それでももし何か伝えるとしたら、いつでもまたTravis Japanのことを応援して下さいってことかなぁ。
本当に私の勝手な考えでしかないけど…
今いるメンバーが今の人となりでいるのは、例え意識していなくとも今まで関わった人達の影響を受けていて、その人達の想いを受けているからだと思う。
顕嵐がいて拡輝がいて美勇人がいて朝日がいたから、今の如恵留、しめちゃん、ちゃかちゃん、閑也、うみんちゅがいる。
そんな現メンバーが築き上げていくこれからのTravis Japanにはそういう過去に携わった人達の想いや汗水も詰まってるんじゃないかなぁ。綺麗事って笑うかもしれないけど、私は本気で思っている。
辞めていった彼らが一緒に過ごした年月や一緒に流した汗や涙は消えないし、とても大切なものなのはこれから先も変わらないと思う。
だからステージ上に一緒に立つ彼らの姿はないかもしれないけれど、彼らのファンにはいつでも戻ってきてくれたらいいなって私は個人的に思っている。
過去のメンバーはもちろんのこと、今まで応援してくれたファンの方々がいるから今の彼らがいるし、こうして私が彼らを見つけて応援することができた。だから、すごく感謝している。
離れていく人も一旦お休みする人もいると思う。
きっと私なんかよりずっと心乱されたに違いない。
一生懸命駆け抜けてきただろうから…お疲れ様でしたと労いたい。それがなんの癒しにもならないことはわかっているけれど…
またいつかTravis Japanの作る景色をTravis Japanを大切にしてきてくれた人達と一緒に見ることがあればいいなぁ…と思う。

過去への想いと感謝と同時に、私なりの今を支える人間としての気持ちがある。
私はTravis Japanを応援してまだ日の浅いひよっこファンだ。でも今を支える一人ではいるつもりだ。
Twitterにも書いたことがあるが、これは気概だ。今を支えている者としての気概。
今を作るのは今いるメンバーであり、今を応援する人々。
今を生きなくてはいつかは来ない。
Travis Japanを応援し始めてから、びっくりするほど濃い日々で、たくさん涙もしたけれど、それでも後悔はしていないし、Travis Japanが大好きだ。
だから私は涙を零しながらでも、Travis Japanは最高だぞって大声で言う。言い続ける。

日生劇場では昨日からABC座が始まった。
今こうしている瞬間も5人はステージに立っている。
5人の姿、「今」をきちんと目に納めてくる。

物語はまだ続いている…

待ちきれないHollywood

Travis Japanが人を惹きつける所以はつまるところなんだろうか?と、考えていた。

Travis Japanに興味のない人からしたら、なんとくだらないことを考えているのか…というところだろうが、私はTravis Japanのファンなので許してほしい。

私は昔からデータや信憑性や正論より、一番人を動かすのは感動(というと語弊があるかもしれない。感情に訴えかけること、と言う方がいいかな…?)だと主張してきたのだけど、実際みんな感動モノに弱いし、例え作られたものだとわかっていても特番で軽率に涙したりする。それが大きな行動のきっかけにだってなり得ている。
でも、それに反感を抱く人は必ず一定数いて、構えて見てしまう人がいるのも事実だろう。
実際のところ、好きなものは贔屓目に見てしまうし、つい心も揺さぶられてしまう。感情的に見てしまったり無意識ではあるが少し誇張して語ったり、時には歪曲していると思われてしまったことだって身に覚えがあるから、冷めた目で見られても仕方がない部分もある。

だから、Travis Japanにまつわる様々な件も、トラジャのファンがモンペで騒いでるだけだと思われているのかもしれないなぁと思う。勝手に意味づけしてドラマチックにしたがっている…と。

私自身はと言うと、過程や精神面に重きを置いているタイプの人間だし、ドラマには滅法弱い。身内もびっくりするほど涙脆い。
だから、逆境の中で頑張っている子達というのは設定としてはカンペキで、そういう子達を応援している自分に酔っているという側面は完全には否定はできないだろうなと思う。

しかも、何とも絶妙なことに私が生で初めてTravis Japanを観たのは拡輝*1 のいるTravis Japanとして最後の舞台だった。
まるで好きになることをお膳立てされているかのようでしょう?そこでひろしめひろしめと言われていた七五三掛くんを見つけてしまったなんて…

正直、不遇な環境で生き抜いている儚くも強く美しい少年達なんて大好物以外の何物でもない。
好きじゃなくても好きになってしまうに違いなかった。
数々の不遇はどこの誰の意図かは知らない。大人の事情か、本人達の意思かあるいは偶然か。
壁にぶち当たる度に神様は意地悪だなぁと思うけれど、逆にここまでドラマチックな展開なのは神が味方していると言っても過言ではない…と考え始めるくらいにはドラマチックというか青春群像劇そのものでもある。
(本人達が不幸とは言っていないのに勝手に不幸者扱いするのはとても失礼だと思うが、悔しい思いをしてきているのは確かで彼らが奮闘してきたことはこれまでのインタビューでも語られている。)

そもそもアイドルはステージに立っている姿と同時にその裏側の努力や苦悩、時に私生活すらも切り売りすることで生き様を見せるのが仕事のようなところがある。但し観客が信じ、感動できればよくて、全てをさらけ出す必要もなければ必ずしも事実でなくてもいい。
(というのは、結局本当のことというのはどこまで追求してもわかるものではなくて、それが事実だと信じることができたらそれが真実みたいなところがあると思うので、今回はこれ以上は言及しないでおきたい。)

そんなわけで、Travis Japanは幸か不幸か、アイドルとしてある意味最強のサイドストーリーを得てしまった…

だが、、

そこに価値を集約してしまうにはTravis Japanは勿体無いグループなのだ。


根っこに何があるかを全部すっ飛ばしてもパフォーマンスだけで人を惹きつけ魅了する力があるグループだから。

先ほど申し上げた通り、私が現場でTravis Japanを観て、七五三掛くんの担当になろうと思ったのは顕嵐*2 がいなくなり、拡輝のいなくなろうとしていた、まさにその頃で、まだ1年経たない。

でも私がTravis Japanというグループを知り、気になってひたすら動画を漁っていたのはそれより1年以上前のことだった。メンバーの名前もそれぞれのキャラクターも知らなかったけれど、ただただパフォーマンスが好きだった。何度も何度も飽きずに同じ動画を見てはため息をこぼしていた。

あの頃は本当に何も知らなかった。
トラビス・ペインに選ばれた子達だということも、PLAYZONEに出ていることも、舞台班だということも。
(青山劇場でのPLAYZONEが最後だということはリアルタイムで知っていたが、当時の私はジャニヲタと呼べるかも怪しいくらいの茶の間ファンで、しかもデビュー組にふわっと舞い戻ったところで、自分が舞台は愚かコンサートにすら通うようになる等とは夢にも思っていなかった…)
彼らがあまり少年倶楽部に呼ばれないことや雑誌にも定期的に載っていないこと、何一つ知らなかった。
でも踊っている姿が最高に好きだった。
パフォーマンスが好きだと思う気持ちや感動に彼らへの同情なんて必要なかった。

それからいろんなことを少しずつ知った。
気になることも胸がざわつくこともあったけれど、そこまで深く捉えはしなかった。していいのかもわからなかった。
私はまだ自担、自担ユニットとしてTravis Japanを見ていなかったから、当事者ヅラはできないという気持ちでそっと蓋をしていた。

でも七五三掛くんを見つけてから、自担として当事者としてTravis Japanを応援していこうという覚悟が決まった。
いろんな媒体を通して発信される彼らの言葉をなるべくたくさん拾ったし、彼らのこれまでのことも勉強した。
他のユニットより少し長い歴史を持つユニットにも関わらず、みんなが持っているオリジナル曲がなかったりオリジナル衣装がなかったり、悲しいこともあった。
未だに某アイドル誌には取り上げられていない。
でもそんなことの悲しさより彼らを見ていられることの幸せの方が大きかった。

もっと好きになった。
パフォーマンスだけで人を虜にする彼らが、ものすごく真っ直ぐにひたむきに前に突き進んでいることを知ってもっともっと好きになった。
(これが客観性に欠け、好きが好きを生み出し、事あるごとに涙して賞賛する、いわゆるモンペだということは重々承知である。)

ただ、敢えて意味づけしたり事実を歪めたりしなくても、彼らの歩んできた道はそのものが十分すぎるくらいにドラマチックだったのは事実だ。

この時、私はまだ「ドラマチックなサイドストーリーのあるアイドル」が「めちゃくちゃ高いスキルを持っていてすごいパフォーマンスをする」という二段構成として捉えていたと思う。

実際は背景はパフォーマンスに含有されていて、それ一つで全てを表していたのだが。

Travis Japanを見ていてよく思い出すことがある。
私は数年前にやっていたドラマのSHARKシリーズが好きなのだけれど、その中で松雪プロデューサーがドラマが大切だというようなことを言うところがある。
(申し訳ないのだが、私の記憶は不確かなので、詳細は皆様各々で見ていただきたい。)
仲間だった安井謙太郎くんをライバルグループに奪われ、仲間割れを繰り返しながら進む方向も定まらず、活動も制限され、行き詰まりながら少しずつ前に進む重岡大毅くん率いるCloud5。彼らにはドラマがある、と。
彼らの境遇は売れるための広告に使われる訳だ。
でも最終的に彼らの価値はドラマがあることではないし、同情が彼らの道を開いた訳ではない。
もがき苦しみながら立ち向かう中で最後に自分達の音楽、パフォーマンスを掴み、それを観客が受け止めるところで物語が終わる。
つまり、一見ドラマチックな境遇をダシに同情を買うことがプロデューサーの意図に見えるけれど、実は逆境を乗り越えるドラマそのものが観客を惹きつけるのではなくて、乗り越えることで生まれる彼らのステージが観客を惹きつけるもので、それを引き出すことが真の意図だったのだなぁと私は思って見ていた。

 

今のTravis Japanはまさしくそれなのだ。

ステージには彼らの生き様が出る。
サイドストーリーを知らなくても、彼らのパフォーマンスは魂を感じさせる。
褒めて下さる方はしばしばダンスが上手!と言って下さる。それは確かだし、私も幾度となく勧めてきたポイントであるけれど、技術だけの問題じゃないと私は思う。
ダンススキルの高さはもちろん抜きには考えられないけれど、パフォーマンスそのものから彼らの姿勢や想いが滲み出ていて、それが観る人の心に触れるのだなぁと思う。
そういうパフォーマンスなのだ。

と語ってみたところで、これこそがトラジャ担の戯言だと笑われるかもしれない。
(ここまで長ったらしいつまらぬ文章についてきてくれている方はそもそもトラジャ担だろうが…もし、ついうっかりここまで読んでしまった稀有な他担の方がいらっしゃればあと少しお付き合い頂きたい。)

 

本日9/29の少年倶楽部Travis Japan初の待望のオリジナル曲、『夢のHollywood』が披露される。

同情しなくていい、Travis Japanのことを何も知らなくていい。なんなら、初だとか待望だとかも聞き流して下さって構わない。
だから、とりあえず見てほしい。

トラジャ担からしたら、幾度となく壁にぶち当たりながら、それでも不遇等と嘆くことなく、グループのために今自分にできることを見つけ、止まることなく前へ前へ進んできたTravis Japanが「ここで見つけよう 輝く未来」と歌うのは特別な気持ちだし、「過去と別れを告げて 今ここでショーをして 明日はない覚悟して 今日を生きよう」と歌う姿は見る前から涙が出そうだ。もう既にEXシアターでも帝国劇場でも幾度も観ているのに…それでもそのくらい胸がいっぱいになる。

Travis Japanというのはユニット名だけれど、活動単位としての肩書きではなくて、精神というか心の在り方というか、ステージへの想い、姿勢みたいなものを表していて、それを失わない限りは一緒にステージに立たなくてもTravis Japanだし、何人でもTravis Japanだと思う。

物理的な意味合いを超えて一つになり、無限のエネルギーを発散させる、それをパフォーマンス一つで届けるところがTravis Japanの魅力だ。


肩書きや境遇に甘んじることなく、ステージで勝負し続ける彼らの姿がひとりでも多くの人に届くことを願っている。

 


*1 仲田拡輝:森田・川島・七五三掛と共にS.A.D.〜JR.Aを経て2012年Travis Japan結成当初からのメンバーで最年長、2016-2017年冬に帝国劇場で上演されたジャニーズ・オールスターズ・アイランドを最後の舞台に退所した。
*2 阿部顕嵐:2012年よりTravis Japan結成メンバーで主に宮近・吉澤・中村・梶山と弟組として活動していたが、2016年5月よりLove-tuneと掛け持ちとなり、2016年10月のABC座以降はLove-tuneでの活動が中心。現在はLove-tune専属のメンバー。

敬称略。

夏に帰る

 

2012年に9人で結成されたTravis Japanは、8人になり、7人になり、この夏のステージを最後に6人になった。

 

正直私はこの夏のあの日で止まってしまっていて、まだちっとも前に進めていなくて、結局何も書き記すことができないままでいる。

月が変わり、1冊の雑誌で6人のTravis Japanの姿を目にした時、なんと言えばいいかわからない感情のまま涙が溢れてきて、記事を読めなかった。

翌日、心を落ち着けてやっと本文を読むことができたけれど、もちろんどこにも美勇人の名前は書かれていないし、事情も何一つ説明されておらず、インタビューテーマだけがまるで何かを暗喩するかのように「不安」だった。
何を語らせるつもりだろうか…私は正直動揺した。
事務所の意向もあるだろうし、美勇人については何も触れられないであろうに、と。

読みながら、8月17日のTravis Japan7人での最後の単独公演のことをぽつりぽつり思い出していた。
彼らの言葉とこの夏の姿がパズルみたいにはまっていく…

 

 如恵留くんのインタビューの答えはやっぱり…と頷く以外なかった。頼ってしまうから敢えてメンバーには相談しないようにしている、と。
前向きなコメントとして語ってはいるが、如恵留くんは文字通りの「重い荷物」以上の荷物を背負い込んでしまっている気がして、胸が痛くなった。
トラジャの中で最年長、Jr.歴も美勇人を除けば最長、礼儀正しくて、頭もよくて、アクロバットが得意、ついでに作曲・構成・振付もこなすオールラウンダーはいつだって期待に応えようとしてくれる。
夏の公演中もずっと如恵留くんはそうだった。必死に守ろうとしていた、俺たちのTravis Japanを。
そういう真面目さ、熱さが彼のいいところだから、裏切らないでいてくれる安心感と同時に、大きなものを背負ってしまった如恵留くんを守りたいという気持ちになった。六本木の交差点で美勇人担とそういう話をしていた。

でも、如恵留くんだけじゃなかった…
Travis Japanは一緒に立ち向かう仲間だと言うちゃかちゃん。
不安を与えないようにとメンバーには相談しないちゃかちゃん。
振付をし、コントの台本を書き、MCで表に立つ…Travis Japanのために頑張ってくれているちゃかちゃんがオーラスで涙で言葉につまった姿は衝撃だった。ちゃかちゃんが泣くなんて…と思ってしまったくらい彼はいつも明るいから。
ちゃかちゃんは踊らせたら飛び抜けてうまいのに、MCになった途端いつもおちゃらけてふにゃふにゃしていて楽しい。それでいていつもどこか俯瞰していて、きちんと話を回してくれる。誰がどう見てもうちのトップダンサーであり、トップMCなのに、俺が俺がと前に出てこない。ボケまくるメンバー達を見ているのがとにかく楽しそうだった。メンバーのことがとにかく大好きなんだなぁと思った。宮近海斗っていう男は本当に優しい。
でも本当は時々自分もつらいんだよね…?
以前、相棒が欲しいと雑誌のインタビューで答えていたのを思い出した。シンメだった顕嵐は隣にいない…
抱えているものの大きさを思わずにはいられなかった。
そんなちゃかちゃんが話を聞いてもらうだけでいいと語る岸くんってなんだか想像できたし、ありがたいなぁと思った。ありがとう…岸くん。

しずかじはこのインタビューの回答で、真面目にお仕事に絡めた不安なことを答えているけれど、そこに感情の揺らぎを見せない明るさがあって、強い想いを抱えるが故に返って儚さすら感じるTravis Japanを支えてくれているなぁと感じた。うまく言えないけれど、健全なのだ。普段はお茶目で笑いをとったりするかわいい弟組。でもこの夏見たしずかじは年齢よりずっと大人びていて、安定感のある二人だった。

閑也は振付という自分のやりたいこと、得意なことをしっかりやり、MCでは永遠の反抗期キャラも板についてきて笑いをとったりしていて、照れくさそうだったけれど、確実に手応えを掴んでるんだなぁと思えた。

朝日は、ファンにはお馴染みの観客参加型クイズ&トークコーナー"かじリーグ"といい、他グループ・他担にも知れ渡りつつある顔で魅せるダンスといい、本当に頼もしいエンターテイナーだった。

引っ張ってくれるのえちかと、支えるしずかじ。
のえちかの心がポキッと折れてしまうことがこわかったから、二人の存在はとても頼もしかった。
すすり泣きの響くオーラスで、明るすぎるくらいの閑也と朝日のテンポの良いやり取りは印象的だった。
私も泣きながら二人の明るさに笑った。でも二人の頑張りにもっと涙が溢れてきたのも事実だった。

私はグループについて仲良しの集まりではないと思ってはいるものの、ビジネスパートナーでありながら仲の良さが滲み出るのがTravis Japanの良さだとも思っている。
かつて召集された当初はそうではなかったと後々雑誌で本人達が語っていたけれど、最近は本当に仲がいいなと思う。私がまだ彼らのことを知らなかった頃から、彼らはたくさんの時間を一緒に過ごしてきているんだものね。
だけど、こういうことになって、お互いのことを思うが故に負担をかけるまいと相談もしなくなってしまうとしたら…
そのうちいつぞ空っぽになってしまわないか…
余計なお世話なのは百も承知だが、私の不安は増していた。

しかし、そんな不安を拭ってくれたのは、実は中村海人だった。
ありのままの人間としての感情、リアルな闇の部分を一番さらけ出してくれる。インタビューでもその様子が伝わってきた。メンバー全員がそうだったらきっと大変だけれど、みんなが空気を読みすぎる中で等身大の男の子でいてくれるうみんちゅのお陰で、ちゃんとみんなの心が通うような気がした。
うわべでも作りものでもない本当の喜怒哀楽を見せてくれるうみんちゅがいるから、みんな気負わないで素に戻れる瞬間があるんじゃないかな…と。
この夏も変わらずにそうだったなと思い出した。うみちゃんが笑うと嬉しかったし、みんなの目が優しかった。
そんなうみちゃんが声を振り絞って最後に叫んでいた。
「俺らのこと好きかー!!!本当に好きかー!!!ついてこれるかー!!!そのままでいてくれぇーーー!!!!」
そのまま倒れてしまうのではないかと思ったくらいの渾身の雄叫びだった。全てを詰め込んだメッセージだった。すごく響いた。

最後にしめちゃんのこと。
しめちゃんは、どこまでも現実みを帯びない人。単独公演のオーラスもそうだったけれど、みんなを暗くさせないように空気を読んだことが垣間見えるのがしずかじだとしたら、しめちゃんはそんな作為すら感じさせなかった。
今回のインタビューも不安なものを訊かれてみんながお仕事のことを話す中で、仕事で不安はないとあっさり流し、セミとお化けの話をするしめちゃんって一見素っ頓狂に見える。またズレてるよって読者に笑われるのかもしれない。
でも、それでいいんだろう。
私達はみんなしめちゃんに転がされてるんだろうなと思う。
不安はないというしめちゃんの発言が本当か嘘かなんてわからない。本当だとしたらとても強い男だと思うし、仮に不安を抱えているのにそれを出さないでいるんだとしたら、それはそれでとんでもなく強い男だ。
私はしめちゃんはフワフワしているから掴めない訳じゃないと思っている。本人が意識してなのか無意識なのかはわからないけれど、私達にリアルなところを掴ませない。圧倒的シンボルとして存在している。
もちろん、それをフワフワしてて可愛い〜♡と受け取るもよし、強い男…!と受け取るもよし、そこは我々に委ねられていてしめちゃん自身は強要していない。
私達はその圧倒的存在にただ甘えて溺れていればよいのだ。

別な雑誌(ステナビ)で顕嵐ちゃんがアイドル像について「ふわふわして軽い感じに思われてるかもしれないけどそれでいい。闇を感じさせないのが本来のアイドルの姿。観てて疲れないのがアイドル」という内容を語っていて、そういう意識というか、考え方は本当にすごいなと思う一方で、私はそれすら語らない七五三掛龍也という自担に鳥肌が立った。

繰り返すが、しめちゃんはアイドルを完璧に演じ切っているだけでなくて、そもそも演じている生身の人間がいるということすら私達に感じさせないのだ。
たしかに天使のような微笑みで少し現実離れした受け答えをしたりするけれど、しめちゃんが天使なのは人間の生々しさの欠片も感じさせないところなんだと思っている。
Travis Japanで一番ボケているようで、実は全てを達観してるのかもしれなかった。
あの日の夜も表情ひとつ崩さなかったしめちゃんの胸の内を思って私は泣いてしまったけれど、その揺るがなさにいくらか救われていたのかもしれなかった。何も変わらない、と。

 


本当のところ、言葉にしなかっただけで夏が始まる前からこうなることはわかっていて、夏が来るのが怖かった。夏が来たら終わってしまう、そう思っていた。
メンバーが辞めたり抜けたりして、Travis Japanはどうなっていくんだろうとファンはみんな不安だったんじゃないだろうか。少なくとも私はそうだった。

 

そして、迎えた公演だった。
この夏の7人のTravis Japanは最高だった。
プレゾンで育って、ダンスが武器を公言し、バックダンサーとしても鍛えられてきた彼らが「俺みんなの声がなかったらGuys PLAYZONEまで踊り切れなかった」(しめちゃん)と言ったほどハードな公演だった。
彼らのエネルギーを全身で受けた。あの瞬間観客は全員仲間だったし、もっと言ってしまえば、Travis Japanとそのファンという構図ですらなかった。会場全体が一つだった。ものすごい熱気だった。
みんなが泣いていた。あのTravis Japanが好きで、そのままでいてほしくて。最高のパフォーマンスへの感動と感謝と終わってしまう悲しさで。
これまで聞いたアリーナやドームのどのアンコールにも引けを取らないくらいのアンコール…
そしてトリプルアンコールの後の拍手…
全てをあのまま閉じ込めたかった。
何も上書きできない完全なTravis Japanの姿として。
だから、どこまでもTravis Japanを追いかけ、応援しようという決意と裏腹に、このままTravis Japanは終わってくれないかと思ったほどだったし、何より終わってしまってもおかしくなかったほど美しかった。何もかもが。

 

だけど、あれから半月が経って思うことは、この夏の彼らの姿はこれからのTravis Japanを信じたいと思わせてくれるものだったなってこと。終わりなんてしなかった。
もちろん、この先の人生で、この夏のTravis Japanに何度だって想いを馳せるだろう。
でも、これからもTravis Japanは確かに前に進み続けるという決意はあの時既にあったんだなぁと今改めて噛み締めているし、この先ずっとアップデートし続ける彼らを見ることができるという期待が少しずつ私の胸の中に芽生え始めている。

 

最高の夏が終わって、最高の秋が始まる。